しかし、忘れてならないことがある。
工法とはどこまでいっても建て方であって、住み方ではないのである。
プレハブで建てても、プレハブで住むわけではない。
完全な工法というものはありえないということを理解してほしい。
工法は鉄筋であろうと木造であろうとプレハブであろうと、みんな一長一短がある。
それは完全な人間がいないのと同じことだ。
奥さんやご主人を選ぶのと同じで、向こうも不完全ならこちらも不完全なのだから、お互いに努力してよい住まいをつくっていくと考えたほうがよい。
その意味では、信用ある業者を選ぶのが、建て方を選ぶ際の最大のポイントということになろう。
要は人である。
といって、これもなかなかむずかしいが、その業者の社長の家、もしくはセールスマンの家を見に行くというのはひとつのいい方法かもしれない。
たとえばトヨタ自動車の社長はトヨタの車に乗っているわけで、社長だからといってベンツに乗ったりはしないはずである。
トヨタのセールスマンがホンダのオートバイに乗ってきたりはしないのである。
だから住宅会社の社長なら、自分のところで売っている家に住んでいると思うのが普通だろう。
自分が売っている家に住んでいないような社長のいる会社に工事を頼むのはやめよう。
住宅公団創設当時の話である。
公団総裁が家を新築し、その設計者が友人だったので、私も招待されて家を誉めに行ったことがある。
「ああ、これはいい家ですね」というやりとりがひとしきりあって一段落したころ、私は生来のイヤミッ気が出て、「総裁は公団住宅に住まなくてもよいのですか?」と言ってしまった。
その時の公団総裁の答えは、ひと言「あんなところには住めませんよ」。
私はそのひと言で公団住宅というのはダメだなと思って、それ以降公団のお手伝いはしなかったし、またさせてももらえなかった。
いま公団住宅も売れなくなってきて、売れ残りが出だしていると聞く。
私は、売れ残っている公団住宅には、総裁はじめ、設計した建築家やその関係者たちを、罰として無理やり住まわせてしまえばいいと思うのだが、どうだろう?家は住む人のものである。
家族の生活の容器として、ユーザーがどんな生活をそこで実現するのか、彼らにはどんな住まいが必要なのか、自分たちの主張をじっくり検討して明確にしなくてはならない。
これはハードウェアとしての家屋を設計する建築家と、ソフトウェアとしての家づくりを試みる住まい手たちの共同責任である。
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